書道教室「恵風書院」

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恵風ブログ 書の名品と鑑賞

17 Sep 2023
開催 京都国立博物館
開催 京都国立博物館

特集展示「日中 書の名品」観覧!

ここでは語り尽くせぬ素晴らしい展示でした。常設展示とは思えない深い内容です。

何よりも良かったのは、楷行草の三体に絞られていた事です。文字の造形やエネルギー、つまり書の芸術性を味わうことに立脚した時、篆隷の拓本類を展示から取り除くことが、結局最も近道であることに気づかされました。さすが!我が敬愛する羽田聡先生です。

最も感動し心に残ったのは、空海の真筆「金剛般若経開題残巻」です。独草体で書かれ、忽卒としたなかにも威厳の漂う優品です。平時における空海の書としては、神護寺所蔵の「灌頂暦名」が有名ですが、それよりもずっと丁寧な書きぶりで、唐にわたった空海が王羲之の書を真摯に学んだことを、如実に伝えています。

展示の目的、つまり伝えたいこと(書の芸術性を鑑賞する)があって、そのために相応しい優品を収蔵の中から抽出し、テーマに沿って並べられた、素晴らしい展示でした。





26 May 2023
びわ湖大津館ギャラリーからの眺め
びわ湖大津館ギャラリーからの眺め

3年ぶりの懇親会

コロナ禍を明け、ようやく久しぶりの懇親会が叶い、びわ湖大津館へ行ってきました。

好天に恵まれて、楽しいひと時を過ごすことができました。

ギャラリーでは水墨画の展示を見ることができました。

ご参加下さいました方、お疲れ様でした。


26 May 2023
尾藤二洲 七言二句書軸
尾藤二洲 七言二句書軸

もうすぐ雨の季節…

寒暖の差が激しい昨今…ひと雨ごとに緑が深まります。

水竹山房コレクションから江戸後期の儒学者、尾藤二洲の書軸です。

日々書の学びを積んだ道の先には、いつかこのくらいの軸なら自ら鑑賞できるようになりたいものです。

美しい自然風景を、平易な行草書に認め、品の良さが漂います。

細く小さなせせらぎに浮かぶ花…ちぎれ雲が淋しい村里に雨を降らす遠景…皆さんの心に広がりますように。

細水浮花帰別潤 断雲含雨入孤村  約山」

(細水、花を浮かべて別潤に帰り 断雲、雨を含んで孤村に入る)

私の勝手な読み下し文につき悪しからず…


8 Jan 2023

謹賀新年⛩

久松眞一 書「随處作主」
久松眞一 書「随處作主」

明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

昨年、祖父の書斎にほったらかしてあった書を一本の軸に表装しました。

令和に相応しく、昭和の書の優品として、水竹山房の所蔵を一本増やしたと言ったところです。

書作の芸術性、言葉の意味も素晴らしく、新年に当たる書の鑑賞として皆様にご紹介申し上げます。

言葉は、臨済宗の始祖・臨済義玄『臨済録』より「随処作主(ずいしょさしゅ)」あと「立処皆真」と続きますので、「随処に主と作れば立つ処皆真なり」で如何でしょうか。

意味は、「与えられた所、自分が選んだ道で、本心を忘れず主体的に生きるならば、その立つ所は皆、真実となる」という感じです。随処は随所と同じで、随は、したがう、なるにまかせるの意。

草書体で書かれており、文字としての破綻は全くありません。尚且つ、左上から中央で一旦右へ、下部では真ん中へを美しいラインを描きます。おそらく羊毛長鋒でゆっくりと言葉を紙に沈潜させるかのように運筆しています。

久松眞一は、元京大教授、文学博士。仏教系哲学者で西田幾多郎より少し後の人。日本が世界に誇る禅思想の第一人者の一人と言えるでしょう。祖父は昭和37年12月19日の講義でこの書を手にしたようです。

この書幅と言葉をご先祖さまからのプレゼントとして、今年も歩みます。


11 Sep 2022

中秋の名月を浮御堂から

松尾芭蕉の俳文「堅田十六夜の弁」に惚れこみ、実景を見てみたいと浮御堂へ行ってきました。

実際、中秋の名月は、この日、三上山(近江富士)の真上に昇るようです。

天空の月、近江富士、湖面の漣、湖面に浮かぶ月、浮御堂が、一直線に見えました。

芭蕉の見た同じ風景を目の当たりにして、心はタイムスリップ、熱く感動できました。昨年の滋賀県展で作品にした名文です。

6 Mar 2022

蘆花浅水荘の白梅、咲きました!

書展無事終了…かと思いきや、お電話を頂き、5日土曜日、所用で再び蘆花浅水荘へ行って参りました。

問題は、めでたく即時解決しました。

表庭の白梅がちらほらと蕾を綻ばせ咲き始めていました。

また何年か後、私たちの作品と共に、人々の目を楽しませて下さいね。

19 Feb 2022

蘆花浅水荘の下見 報告

昨日、蘆花浅水荘の下見に行って参りました。

連日の凍てつく寒さに、梅の蕾は未だ固し。

あと一週間で一輪でも花開くことを祈るばかりです。

会場下見で気づいたことは、寒いです!暖房設備は、ほぼありません。

皆様くれぐれも暖かくしてお越し下さいませ。

  梅一輪 一輪ほどの 暖かさ  (服部蘭雪)

ご来場を心よりお待ちしています。

「堅田十六夜之弁」松尾芭蕉
「堅田十六夜之弁」松尾芭蕉

しが「県展」作品報告

今年は、滋賀県立美術館がリニューアルし、県展が開催されました。芭蕉の俳文の美しさの惚れこんでしまい、気持ちだけで作品制作致しました。完成した作品は、入れる額がないと表具店に次々に断られ…(笑)、額に合わせて小さくして〆切当日に書き直した拙作です。調和体の難しさを改めて痛感しています。元禄4年義仲寺無名庵での観月句会が盛り上がり、芭蕉一行は翌日に堅田まで舟を馳せたようです。以下は釈文です。

やがて月雲外に離れ出て、金風銀波、千体仏の光に映ズ。かの「かたぶく月の惜しきのみかは」と京極黄門(藤原定家)の歎息の言葉を取り、十六夜の空を世の中にかけて、無常の観のたよりとなすも「此堂に遊びてこそ再び恵心の僧都(天台の高僧源信、浮御堂を建立した)の衣も潤すなれ」と言へば、あるじまた云(いう)「興に乗じて来(きた)れる客をなど興さめて帰さむや」と、元の岸上に盃を揚(あげ)て、月は横川にいたらむとす。

「鎖明て 月さし入よ 浮御堂」

句意:金風(秋風)が吹き銀波がゆらめき、浮御堂は月下に浮かび上がっている。寺の僧よ、錠をあけて月光を差し入れ、おわします千体仏を照らしておくれ。

浮御堂に向かって、秋風は月光にきらめいて金色に輝き、湖面には銀色の波が立つ…そんな美しい月夜が、今年は何回も楽しめましたね。展示12/14(火)まで。

ミネアポリス美術館「日本絵画の名品」 MIHOミュージアム観覧

MIHOミュージアムは滋賀県信楽の山中にある美術館。ミネアポリス美術館所蔵の「日本絵画の名品」という展示があり行ってきました。アメリカ人が見出だした日本の美、その視点が分かる、面白い展示でした。基本的に、北斎等も全て色彩の鮮やかな優品が揃っています。若冲の京都の福田美術館にある鶏図屏風のそっくりさんにも会えました。12/12までです。

鑑賞 貫名海屋「山水画賛」

今月(2021年11月12月)号の道誌の古典臨書課題は貫名菘翁の書でした。せっかくなので、足立家の古書画コレクション水竹山房にある一本を紹介します。柳と流水の描かれた典型的山水画軸です。草書体で書かれた賛、柳の葉先に見られる、柔らかく上品な筆遣いには、書画一体の時代に生きた文人たちの卓越した筆致が感じ取れます。自宅教室にしばらくは展示しています。

以下、(おそらく)私の曽祖父、足立増蔵による説明文です。

(前略)書法は初め徳島の市人西宣行といふ人に就きて米南宮の法を学ぶ。本職の医業行はれす。名も揚げらざるなり。高野山に上り文学を研究する傍ら空海の真蹟を見て初めて書法の高尚なる趣致を看破し、それより書道に心を潜めて、ますます錬磨工夫し遂に一家の風格を成すを得たり。海屋既に名を成せし后は毎朝未明に起きてニノ時間計り字を習ふこと八十余の死に至るまで一日も廃せしことなしと云ふ。文久3年五月六日歿す。年八十六才墓は高台寺にあり。墓塔表面に菘翁貫名先生墓と刻せり。(後略)


27 May 2020

おすすめ 臨書学習

書の古典の王道である王羲之の『集王聖教序』。唐代に、皇帝太宗の命により、弘福寺の僧侶懐仁らがインドから持ち帰った仏典を漢訳し、王羲之の書から集字し刻したものです。最後に般若心経があり、史上最古とされていて、原碑は西安の碑林博物館に現存します。

書は王羲之、言葉は般若心経って、最高ではありませんか!

半切に臨書してみました。筆は小筆を全部下ろして。行間は4.5〜5センチ位でちょうどでした。このコロナ禍の臨書学習として是非皆さんもやってみて下さい。

この未曾有の危機を乗り越えられるよう祈りを込めて筆を進め、一つの証として、秋にどこかのお寺へ納めに行けたら良いですね…。

王羲之『集王聖教序』より般若心経 臨書
王羲之『集王聖教序』より般若心経 臨書
10 May 2020

雨の日は書道…

外が晴れた良いお天気だとステイホームも忙しい。

お洗濯、布団干し、草むしり、最近は伸びてきた庭木の枝も気になる。剪定しなくちゃ…。

それに引き換え、雨の日は解放される。

しっとりと雨音を聞きながら筆を執る至福のひと時…。古典美を味わいながらの臨書なら、なお最高。

鑑賞 長三洲「春山五絶詩」

長三洲書「春山五絶詩」
長三洲書「春山五絶詩」

新型コロナウィルス感染拡大の影響により、どこの博物館美術館も閉館中…。

水竹山房から、今の季節にぴったりの軸を一本、ご紹介申し上げます。

長三洲は幕末から明治にかけて活躍した勤王の志士、漢詩人、書家です。戊辰戦争の後、明治初期に文部官僚として日本学制の礎を築き、学校制度に習字を位置付けた功労者と言われます。

明治期に大流行した日下部鳴鶴ら六朝書道の一派とは対極にあった書家で、顔法を貫きました。祖父足立健次郎は「単なる文人ではなく勤王経世の偉傑である、普通所謂書家を以て目すべき人ではないが書画共に之を善くし、書は雄健にして詢荘、豊映にして重厚、一世に卓絶す…」と書き記しています。自宅教室のお床に展示中。ご高覧下さいませ。

(釈文) 春山午蔭多し 樹色過雨かと疑ふ 瀑布形を見ず 聲は白雲より吐く


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